野に咲く名前も知らない花と、知らないままでいいということ
店舗の庭の小道の脇に、見たことのない花が咲いていました。
小さくて、薄い紫色で、風が吹くたびに揺れています。名前を調べようかと、少し立ち止まりましたが、結局そのままにしました。
名前を知らなくても、氣づけたということ自体に、もう十分な意味がある氣がしたからです。
わたしたちは、氣づいたものに、つい名前をつけたくなります。分類して、理解して、安心したくなります。それは自然なことですが、名前がわからないというだけで、その花との出会いが薄れるわけではありません。
むしろ、名前を知らないぶん、色や形、揺れ方そのものを、まっすぐに見ている氣がします。
氣づく力が強い人ほど、たくさんのものに氣づいてしまって、そのすべてに意味や名前をつけようとして、疲れてしまうことがあると思います。
でも、氣づいただけで、もう十分なときがあります。理解しなくても、説明できなくても、ただ「あ、咲いている」と思えたことが、その日の小さな贈り物になります。
花はまだ、小道の脇で揺れています。名前を知らないまま、また明日も、そこを通ろうと思います。