静寂という名の一番贅沢な音

どこへ行っても人工的な音楽や広告、誰かの話し声が溢れている現代の街。常に耳から大量のノイズを受け取り続けていると、感じすぎる性質を持つ人たちのココロは、いつの間にか飽和して、疲れ切ってしまいます。

八ヶ岳の夕暮れ、アトリエの窓辺でネコがふと耳をピクッと動かしました。その視線の先を追ってみても、人間の耳には何も聴こえません。けれど、さらに深く耳をすましてみると、風が木々の葉をさわさわと揺らすかすかな音や、遠くの鳥がねぐらへ帰る羽音が、静寂のなかから浮かび上がってくるのです。

音は、今ここにしかありません

「今、なにか耳に届く音が、ありますか?」これは、わたしがじぶん自身やココロのおかたづけでよく問いかける言葉です。過去の記憶でもなく、未来への不安でもなく、音という存在は常に「今、ここ」にしか存在しません。どんなに小さな音でも、ひとつ聴こえれば、あなたは今ここに確かに存在しているのです。

  • スマートフォンの音をすべてミュートにしてみる。
  • 時計の秒針が刻む規則正しいリズムをただ聴く。
  • 静まり返ったときに聴こえる、高い和音のような音に意識を向ける。

聴こえなくてもかまいません。聴こうとした、その耳が、いまのあなた自身だからです。このサイレント・プレゼンテーションが、過剰な刺激に晒されたエンパスたちの心をそっと休めるオアシスとなります。

しおかぜのささやきに導かれて

レモンブリーズの海の妖精たちも、海のささやきやぬくもり、切なさを何よりも愛し、そのかすかな気配に耳をすませています。すべてを言葉で解決しようとせず、ただ流れる大気感に身を委ねること。

アトリエのカーテンが、夕暮れの風にそっと揺れ、しおかぜが通り抜けていきました。物語は完結することなく、地続きの癒やしとして、今夜のあなたを静かに包み込んでいきます。

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