だれかの物語ではなく、じぶんの「今」を
足元に眠る、ジャッジのない時間
ネコがわたしの足元で、ただじっと、じぶんの肉球を見つめています。その姿を見ていると、外側の世界でだれが成功したとか、どんな流行が生まれているかといった賑やかなノイズが、どこか遠い国の出来事のように思えてくるのです。
誰かの物語や、華やかな芸能のトピックにココロが引っ張られてしまうときは、いつの間にかじぶんの「今」を見失っているのかもしれません。ネコには他人のジャッジ(評価)も、世間のスピードも関係ありません。ただ心地よい光のあたる場所を見つけ、そこに身を委ねる天才です。
ここにいる、という確かな感覚
最新の著書『Ordinary Wonder(あたりまえのふしぎ)』を開くとき、わたしはいつも、遠くへ出かけることではなく、いま手元にある小さな宇宙に目を向けることの大切さを想います。誰かと比べて落ち込んでいるとき、わたしたちはじぶんが選んだ小さな日常を忘れてしまいがちです。
- 今日、じぶんで選んで淹れたあたたかいお茶。
- お気に入りの椅子の、木肌の乾いた感触。
- ジャッジのない静寂のなかで、ネコが喉を鳴らす音。
そんな「あたりまえ」のなかに、他人の言葉に侵されないじぶんだけの聖域があります。比べるのをやめた瞬間、いま立っているその場所が静かに輝き出します。
足元に眠る、ジャッジのない時間
余白を愛する妖精たちのまち
しおかぜレモンのまちに住むCitraä(シトラ)やLimee(ライミ)たちも、誰かの視線を気にして生きているわけではありません。ただ、目の前を流れる澄んだ水のきらめきを愛し、海のぬくもりや切なさを五感で受け止めながら暮らしています。そこには過剰な説明も、誰かを評価する物差しも存在しないのです。
アトリエの窓の外から、そっとしおかぜが通り抜けていきます。完結することのない日々のプロセスのなかで、また新しいページへと誘われるように、ゆっくりと呼吸を整えながら。