涼しい場所を持っている人は、氣づけばもう、それを選んでいる。氣配に疲れやすい人へ

アトリエに置いてある、丸いベンチ。氣づけば、いつも猫がそこにいる。

朝の光がまだ柔らかいうちに、日陰へ、日陰へと居場所を移していく。標高1,100mのこのあたりは、日向にいるとちゃんと夏の陽射しを感じるのに、木の影に一歩入ると、氣温がすっと変わる。猫はそのわずかな境界線を、わたしよりずっと正確に知っている。

このところ、その姿をぼんやり眺めながら、涼しい場所を持っているということについて考えている。

アトリエの棚には、海で拾ってきたシーグラスや貝殻が並んでいる。角の取れたガラスは、もとは割れた瓶や食器の破片だった。壊れたものが、波にもまれて、時間をかけて丸くなる。そのかたちを見るたび、氣配に敏感なわたしたちのことを、少し重ねてしまう。

繊細さは弱さではない、とよく思う。波に負けたのではなく、波と一緒に時間を過ごした結果、あの丸みができている。

日陰にいる猫を見ていると、それは逃げているのではなく、選んでいるのだとわかる。涼しい場所を知っていて、そこへ迷わず向かう。氣配に疲れやすい人にとって、これはとても大事な感覚だと思う。

刺激の多い場所にずっといる必要はない。人の輪の中心にいなくてもいい。自分にとっての日陰、自分にとっての涼しい場所を、暮らしの中にいくつか持っておくこと。それだけで、随分と息がしやすくなる。

アトリエでの作業も、氣がつくと窓際の、光が直接当たらない場所を選んでいる。手を動かしながら、涼しさに包まれているとき、頭の中の音がすこし静かになる。そういう時間に、良いかたちがふっと浮かんでくることが多い。

猫はまた、日向のほうへ戻っていった。ずっと同じ場所にいるわけではない。涼しい場所も、日向も、両方持っていて、そのときどきで選んでいるだけなのだと思う。

わたしたちも、そんなふうに、いくつかの居場所を持っていていい。今日はどの日陰にいようか。そんなことを考えながら、また一つ、シーグラスを窓辺に並べてみる。

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